なぜ日本人はご先祖様に祈るのか~生も死も同じなのかもしれない~

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メモ
仏教とは、ゲームを降りること | 人生というクソゲーを変えるための仏教 ネルケ無方
春秋社のwebマガジン「web春秋 はるとあき」です。時宜に応じて多彩なテーマを、連載、読み切り、書評など多様なかたちで提供します。

こちらの記事を読んで、今回の本の著者を知りました。
にわか仏教徒ですが、この記事も著書も本当に面白く読めました。

メモ

『怖がってはいけない』『執着してはいけない』というのも、執着にすぎない。(中略)仏教は生への執着を勧めないが、死も決して勧めていない。

ネルケ無方 なぜ日本人はご先祖様に祈るのか ドイツ人禅僧が見たフシギな死生観 (幻冬舎新書) (P52)


一呼吸、一瞬一瞬 すべて同じ自分はない。
常に変化している=死んで生まれる を繰り返している。

形だけでも 相手を 愛する・許す そうすることで相手の行動が変化し、自分も変化する。
愛せない・許せない という状況が自分を苦しめる。
まずは自分で自分を苦しめることをやめる。

枯れて死のう。
いつまでも現役で居座らず、次の世代へつなぐ。
ある程度で身を引いて後ろから見守る。
組織もそう、社会もそう。
子供に対しても過干渉しない。
みんな逞しく強いので、世代交代し、安心して死のう。

感想

(生きながらにして)成仏して~~~。
といいながら今日も人に対して怒りをぶつけてしまって反省。
中道を進まねば。
といいつつ、中道にこだわる、それも執着となり仏への道が遠ざかるのだろうか。

大学時代に若本 規夫氏の講演を聞いた。
最も印象に残っていることが「すべて受け入れること」。
結局あらゆることが 受け入れること に尽きると感じる。

この世はいくらでも楽しいコンテンツがある。
できる限り味わってみたい。
そのために長生きしたい。

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