初めて聞いて紹介されたYoutubeを見た
まよくある引き寄せの法則と同じようなものだった
群盲象を評す(ぐんもうぞうをひょうす、群盲評象)は、数人の盲人が象の一部だけを触って感想を語り合う、というインド発祥の寓話。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A4%E7%9B%B2%E8%B1%A1%E3%82%92%E8%A9%95%E3%81%99
仏典には教養の無い者、とりわけ仏教の教えを信じない者を群盲(盲人の集団)に例える記述が数多くある。群盲評象の話も数か所に掲載されている。
みんな(私を含む)、本質が見えていない
もしかしたらこの世界を観測している人はさぞ楽しかろう
負のエネルギーを振りかざす相手と向き合うとき、
振り子と同じ方向で動いて力を弱くする これ良いと思いました
例えば相手が私を攻撃するとき、
「そうですね!ほかにアドバイスしてください!!」などなど
この世は仮想空間思考なんて
デカルト、胡蝶の夢しかり、
思考実験におけるシミュレーション仮説しかり、
量子論でも語られている部分であまり目新しさ的なものはない
月は存在するが、今見えていない ならば存在しない
自分を直接見ることはできない
メタ認知 しようとしても限界がある
朝起きて「私の意図は現実となる」と唱えるだけなら、まぁできる
自分の行う動作を、今からその動作をする と考えるだけなら、まぁできる
明晰夢でも、たとえ夢でも非現実すぎることは、なかなか難しい
ふとした意図しない夢で死者と出会うことはできても、
明晰夢で死者と会話したくても、意図して死者蘇生することは難しい
とにかく、現実だと現実の常識が強すぎて自分の思いがセーブされてしまうんですよね
もしかしたらこの現実でも夢のように空を飛べるかもしれない
だが自身が作り出す現実・常識が空を飛べないようにしている・飛べると信じながらもどこかで飛べないと思っている
夢で夢と気づいてもなかなか非現実的なことをするのは難しい(暗喩)
(ここに於ける夢=現実(言わずもがなか……))
映画の人物という話で言うとトゥルーマン・ショーという作品を思い出した
もしかしたら誰か有名人が煌びやかな毎日に疲弊していてモブキャラになりたいと思って”私”でゲームをプレイしているのかもしれません
もしかしたら誰かが”私”でゲームをプレイしていて、そのプレイヤーはこの人生ゲームがヘタクソなのかもしれません
とりあえず、エントリープラグが刺さるような位置を意識することが大事だそうです
自分のコントロールできるところでポジティブに生きていこうと 改めて思いました
動物は、そもそもそんなこと考えなくても生きている、人間もそうなれるはずなんだよなぁ
もっと自己を解放しろ!
毎日誰かに動かされている感覚で、自分を取り返したいと常々思います
これを台本にしてワイもYoutube録画してみるか~~~(2分で終わる)
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