私にとっては育児、というより教育かもしれない。
子を授かり、育てる過程で、私たちは多くのことを学び、与え、時には夢を託す。
しかし、社会に出てから夢を叶えることの難しさを知る。
育児・教育を通して私が気づいたこと、そして子離れへの思いを綴る。
自我の芽生えと教育
我が子が会話できるようになり、自我が芽生えてきたのは、あっという間だった。
いつまでも、私にべったりで、一日中一緒に遊んだり、対話していた。
しかし現在、自分の世界を持つようになり、ゲームや漫画に夢中になる時間が増えた。
今日、子に話がある、と言うとこう言われた。
「(ゲームの)スコアブーストの時間だから(今は話しできない)」
少し寂しさを感じながらも、子の成長を実感した瞬間だった。
もう私は必要でない。
少なくともこの瞬間は。
伝えたい人生における本質
私は、生きていく上で大切だと思うことを、子に伝えてきたつもりだ。
例えば、他者への敬意や感謝の気持ちをはっきり伝える、物事の優先順位を決める力、完璧を求めるより80点で満足する、などなど。
そして何より、自分の人生を自分で選択する勇気だ。
私はパートナー・周囲との関係で苦労したこともあった。
子には自分の人生を主体的に生きてほしいと願った。
「自分の人生は自分のものだ。周りに流されるのではなく、自分でコントロールしてほしい。」
そう伝えながら、私は子が自分の興味や夢を語るのを聞くのが楽しみだった。
育児というコンテンツ
育児や教育を「コンテンツ」と呼ぶのは、私にとって特別な意味がある。
結婚してからというもの、パートナーとの関係は常に波乱万丈で、私の意見や行動は否定されることが多かった。
そこに現れた私のすべてを受け入れてくれる存在。
私のほうが子に依存していた。
子は、私の意見、考え、思想、文化を無条件に受け入れてくれた。
私が話をすると、どんな内容でも目を輝かせて聞き、一緒に楽しんでくれた。
育児は、自信・自身を取り戻すための救いだったのかもしれない。
夢と可能性
野球選手になりたかった親が、子供にその夢を託す。
そんな話はよく聞く。
私自身も、社会に出てから、自分の可能性を狭めてしまったと感じることがある。
夢を叶えるには、才能や環境、そして何より、自分で気づくことが必要だ。
大谷翔平選手のような成功例は、私たちに夢を与えてくれる。
しかし、凡夫である私たちは、夢を叶える難しさも知っている。
私は子に、夢を持つこと、その夢に気づくことの大切さを伝えたいと思った。
そして実践してきたつもりである。
夢 というほどかっこいい理想的なものではなく、目標とでも言うべきだが。
子への願いと気づき
私が子に願うことは、自分の人生の目的を早く見つけてほしいということだ。
私は、自分が何のために生きているのか、何をしたいのかに気づくのが遅すぎた。
私は、ここから軌道修正することはできない。
留まることしかできない。
自分の好きなこと、得意なことを見つけてほしい。
何のために生まれて、何のために生きるのか。
そして、その夢に向かって最短ルートで進んでほしいと願っている。
それができるように知識だけは与えたつもりである。
子離れと新たな一歩
私は、育児というコンテンツを通して、多くのことを学び、与えてもらった。
そして今、子が自分の道を歩み始めている。
子への依存から脱却(子離れ)の時が来たと感じている。
パートナーにありがとう、子にさようなら。
そして私に、おめでとう。
私は、これから自分の人生の主権を取り返す。
育児というコンテンツは、私に多くの喜びと気づきを与えてくれた。
そして今、私は新たな一歩を踏み出す準備ができている。
誰かのためじゃない、自分自身のために。
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